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 お布施の意味について 

一般に、お葬式や年忌仏事供養をした時、お寺へ差し出すお金等のことを、お布施といっています。中には、お経(料)代とか回向(料)代などともいいますが、多くの人々は、お経を上げてもらった代金、つまり宗教的サービスの対価と思っているようであります。

しかし、
お布施ということは、こうしたことではなく、お経を上げてもらうという清浄なことに対して、清浄な気持ちで顕す感謝・御礼・寄付のことです。つまりお布施をすることは、教えの姿を意味し表しています。いいかえると、お布施を通して、する人される人が共に清浄な関係となり、第三者から見ると、教えと営みとして示されていると受け止められることになります。よって、したこと・してもらったことに、御礼の度合いや規定・金額がないのが正しいことになります。
ですから、お布施はその人その人によって、みんな異なっていたのが元来でした。いいかえれば、1000円のお布施の人・10000円のお布施の人……、とみんなまちまちでした。


というと、お布施は安い方がいいです。安くすむ方が得で、気持ちも心もが楽だからです。しかし、こう見る見方は、ものの売り買いの見方です。お布施の見方は、川で溺れている人が通りがかりの人に助けて貰ったことに対し、感謝をすることと似ています。助けられた人は、出来るだけ安く感謝を示そうとはしません。できるだけ大きい感謝を現そうとするでしょう。
お布施とは、安いものではなく、高いものだったのです。その人にとって出来る限りのことがお布施であったのです。どこのお寺も「応分の……」とか、「お気持ちで……」というのも、こうしたことからでした。ほんとうはそれが正しいのです。


ですから、先人から私達僧侶は、同じ金額でも差し出す人によって、その価値を見よ、と言われたものでした。小学生が差し出す1000円札の価値と、両親が差し出す1000円札の価値は違うんだ、というのが私達の受け止め方でした。それをお布施と呼んだのでした。

ちなみに、
僧侶には、就労・労働への対価は基本的にはないのです。みなさんから頂くお経料は、労働報酬ではありません。それが僧侶という立場です。すべての金銭・物品はお寺・それに付随する施設への寄付になるのです。それをもって施設を維持しています。たとえば、お寺で求めているお墓用のお線香も、お線香そのものを買うのではなく、本来は、お線香をもらい、お香代というお布施・寄付をするというのがマナーとなります。最近、葬儀・お戒名等のお布施について議論がありますが、寺院維持への資金であることを理解したいものです。ただ本来の意味を逸脱した宗教者、宗教者まがいの多いのも事実です。信頼ができない宗教者への安易な依頼は、ひかえたいものです。

しかし世間では、誰が持っていようが、1000円は1000円の価値しかありません。ことにすべてお金で生活が成り立つ現代になりますと、お金に人の心を追加して見ることがなくなります。お布施とは、こうした流通経済の中で唯一、お金に心を追加したものといえましょう。

ところが、これがまた混乱を引き起こすことになっています。お寺によって、お布施が違う、お金が違う、というようにお金だけで見ることが当たり前になりますと、トラブルも多くなってきています。

そこで、このホームページでは、本来のお布施の意味を御理解頂くことを前提に、あえてお布施を費用と表示し、あくまでも基準として、提示しました。ホームページを訪ねて来られる人々のほとんどは、金額がはっきりしていて安心で信頼がもてると言って、来寺されますが、ほんとうは、金額はその人その人によって決めたものでありたいのです。一応基準として理解頂くことをお勧めします。


これからの日本人として

お布施が金額に心を追加したものといいましたが、これからの日本人にとって、大事な心の営みの一つです。心もなくお金もケチる時代にあって、みなさん、もう一度考えてみましょう。