やはり、お戒名は付けてほしい、とお考えの方に参考として頂くためのご案内です。以下参考にして下さい。

お戒名とは

仏教でのお戒名とは、亡き人が仏教の教えを聞いて永遠に安らかにあるために行う教えによる名前です。ですから仏教徒と思う方は、お戒名を受けることは当然のことと理解をしたいものです。

お戒名はどんなのがいいの

お戒名は、仏典(経文)をもとにしたものをお勧めします。それはその人の人格を表すものより、その人を育てるものであるべきでしょう。経典仏典をもとにしたお戒名であれば、こだわりません。

お戒名に値段はあるの

古来より、物品とは異なり、値段はありません。しかし元来の慣習から、お戒名の授与に対して、お寺へ献金や寄付をする形があります。これによって、お寺では施設の維持をし、多くの佛さまの供養ができるようになってきたことも事実なのです。

ではどうすればいいの

お戒名をご希望される方は、お申し出下さい。それに対する献金寄付は10万円とお経へのお布施5万円で、計15万円より受け付けております。

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お戒名についてのお話

お戒名なんていらない

やはり、お戒名なんていらない。これも自由です。自分の納得のいく方法を自分で決めることはまったく自由です。もしそうしたいなら、以前から関係がある菩提寺からは離れましょう。離れないと菩提寺のルールの制約でお戒名は必要になりますので。つまり宗教的制約を受けない状況で、自分の好きに生と死を考え、自分で決めることはまったく自由なことです。

もし自由に考えて、その後の問題点は

お葬式もお戒名もすべていらない、とすることは自由です。ではすべてやめてしまった後の問題点はあるのか、についていくつかお話しておきましょう。
お葬式を始めとする仏事の基本は、古来より自分の立場や自分の意見・意識で行われてきたものではなく、相手、つまり亡くなった人・教えを与える人等の立場から物事を見るところに大きな特徴があります。つまり、自分の意見で行うことでは、そもそもなかったのです。普段の生活が自分主体の生活動線であるのに対し、生死、言い換えれば慶弔に関するものは、相手主体の立場の生活動線をもつことによって、自他共に生きる姿勢を顕していました。これは宗教的というより、実に人間的な行動でありました。せめて自分の親のことは親の気持ちに立って、親の本心を見てあげようという行動様式がそこにはあったのです。昨今、こうした生活様式がほとんど自分主体にかわりつつある傾向は、家族・両親・親戚・知人等への思いやり・気配りが欠けてきている必然的流れともみることができます。
つまり、仏事は、基本的に自分にとっては嫌なことでありますが、大きな意味で人間関係の基本を築いているもので、それを失うことは、人間関係の孤立化へ向かうことを示しているといえましょう。その点のリスクを負うことになることは考えておきましょう。
自由とは誰も手を貸してはくれないことでもあります。

もう少し宗教的にお話をしますと、お戒名とは、亡くなった人に対してお経の文句の服を着せて、常に教えと共にあり、それによって穏やかであるようにということから、宗教的に授与し、また必要なものなのです。ですから、自分の趣味や嗜好で付けるものではありません。

ただこのことを実行するには、周りの人達の意見をよく聞きましょう。菩提寺から離れて良い部分と悪い部分をよく見極めて決定することが大事です。当寺ではそうした相談のアドバイスもしています。

それから、お寺からお戒名はいらない、しかし自分で好きなお戒名を付けたいという人がいます。いろいろな理由があろうと思いますが、「お戒名はいらない」なら、小賢しいことはやめましょう。こんなことで自分を飾りたいなら、今まで努力してきたあなたの人生も虚しくなりましょう。